2015年2~3月
1スム=約0.03円(闇レートで1ドル=約3,800~3,900スム)
サマルカンド、ブハラ、ヒヴァという3つの世界遺産を中心としたウズベキスタンの旅についてのまとめ。
【日程】
2015年2月3日~8日、3月5~6日、3月8~19日(17泊20日間)
【ルート】
一回目
タシュケント(2月3~6日)
→フェルガナ(6~8日)その後キルギスのオシュへ。
二回目
タシュケント(3月5~6日)
三回目
タシュケント(3月8~10日)
→サマルカンド(10~12日)
→ブハラ(12~14日)
→ヒヴァ(14~15日)
→タシュケント(15~18日)
→ヒヴァ(18~19日)
【費用】
※国際移動の代金(バンコクからタシュケントへの飛行機代1047.64ユーロ(142,889円))は除いて集計しています。
スム(千) | 円 | 割合 | |
---|---|---|---|
食費 | 562,200 | 18,506 | 14% |
宿泊代 | 1,850,400 | 60,909 | 47% |
移動費 | 950,800 | 31,297 | 24% |
観光費用 | 78,000 | 2,568 | 2% |
お土産代 | 183,150 | 6,029 | 5% |
雑費(上記以外) | 331,000 | 10,902 | 8% |
合計 | 3,955,550 | 130,210 |
20日間で3,955,550スム(130,210円)、一日あたり6,510円。
目標の一日あたり予算6,000円を10%程度上回ってしまいました。
内訳を見ると、主な出費は宿泊代の1,850,400スム/約60,900円(一泊あたり約4,000円)で、これだけで全体の50%近くを占めてしまっています(※)。
予定外に滞在が長引いてしまったタシュケント、それから安宿が見つからなかったフェルガナの宿代が押し上げてしまいました。
それ以外のサマルカンドやブハラでは一泊あたり20ドル程度と、予想の範囲内。
その他では移動費が951スム/約31,300円(一日あたり約1,600円)で約25%、食費が562スム/約18,500円(一日あたり約950円)で14%。
移動費も考えていたよりかかってしまいましたが、こちらはタシュケントとウルゲンチの寝台列車往復という無駄なことが発生してしまったため。
なお、雑費のうち約60%(約7,600円)は、ビザを2回取得した費用。こちらも無駄だった。
やっぱり、予定通りにはいかないもんだな~と再認識。
※一日あたり宿泊代は寝台列車の分を差し引いて15泊で計算。
【ウズベキスタンの食寝飲笑】
食
Sho:「グルナーラゲストハウス」で食べた家庭料理(プロフ、ラグマン)
グルナーラゲストハウスに宿泊していた時、たまたま夜ご飯を食べさせてもらう機会がありました。
そこで出してもらったのが手作りのプロフとラグマン。
レーズンやナッツが入ったプロフはおふくろの味?優しい味がしました。
外のレストランで食べるのとは一味違った地元の料理を楽しむことが出来たのがいい思い出です。
Hiro:シャシリク(羊肉ミンチの串焼き)
タシュケント/ウズベキスタンに到着した翌日、初めて食べた中央アジアの代表的な料理がシャシリク。
チョルスーバザールで美味しそうな匂いにつられ購入したシャシリクがたまらなく絶品!
その後、ブハラ、サマルカンド、ヒヴァ、そしてキルギスでも様々なシャシリクを食べましたが、ここのシャシリクが不動の1位です!
シャシリクを美味しく食べるポイントは焼き立てでジュージュー音がしているうちにかぶりつくこと。
口から滴る羊の油がもうたまりません。
時間がたって冷めてしまうと美味しさは半減してしまうのでご注意。
寝
2回も乗った寝台列車(タシュケント⇔ヒヴァ)
Shoは人生初めての寝台列車。日本でも乗ったことはありません。
最初は不安もあったけれど、枕やシーツは毎回清潔なものが支給されるし、食堂車もあって手頃な価格でご飯を食べることも出来るし、なかなか快適な寝台列車だった。
また4人一組のコンパートメントなので、他の乗客と食べ物や飲み物を交換したり、手振り身振りで会話したりと楽しかった。
ウズベキスタンの人は基本的にフレンドリーなので、言葉はほとんど通じないけれどすぐに仲良くなることが出来ました。
飲
チャイ(紅茶)
普段の食事が脂っぽいからチャイでスッキリさせるのでしょうか。地元の人も毎食チャイを飲んでいるようで、もちろん私たちも便乗。
砂糖もミルクも入れず、ストレートで飲むチャイにいつしかはまっていってしまった。
笑
サマルカンドのレギスタン広場
昔からずっと行きたかった青い都・サマルカンド。
僕たちが行った時は前日の雪がまだうっすらと残っており、雪化粧をしたレギスタン広場はとても美しかった。
空もモスクも青く、まさに青い都という名前がピッタリ。
夕方に行くと、夕日に染まったレギスタンもまた息をのむほど美しかった。
日本語ガイドの練習をしているという現地の学生たちと出会い、レギスタン広場をガイドしてもらいながら一緒に観光したこともいい思い出。
(最後に)
他国のビザ取得の関係で、3回も出入りしたウズベキスタン。
英語で会話することは難しく、とにかくロシア語で話しかけられました。そのおかげて今まで全く知らなかったロシア語「ダァ(うん)、スパシーバ(ありがとう)、ニェット(いいえ)、ヤポーネ(日本)、カレヤ(韓国人)…などなど」わずかですが覚えることができました。
東南アジアでは英語で会話ができることも多かったのですが、中央アジアに入った途端ほとんど通じない!が、言葉が通じなくても身振り、手振り、表情などで、十分お互いの気持ちを伝えることができることを、身をもって経験できました。分かってもらえた喜び、相手の気持ちを理解できた喜び、相手の言いたいことを想像する力…コミュニケーションの基本はこういう部分なのではないか?と考えさせられました。
また、ウズベキスタンは警察が厄介。との話をたくさん聞いていました。地下鉄に乗る時はもちろん、街を歩いていても警察をよく見かけます。国境の係員も他の国とは違いかなり厳しくチェックされます。しかしこちらが笑顔で挨拶したり、地下鉄では自らパスポートを見せたりするようにしたら、厄介なことは一つもありませんでした。
観光や土産物は私たちにとって全て魅力的でした。
また行きたい国の一つです。
Sho & Hiro
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