2015年4月30日
1ユーロ=約140円
フランクフルトからやってきたのは、東西冷戦の爪痕を残す町、ベルリン。
二人とも冷戦についてはほぼ記憶に残っておらず、有名なベルリンの壁崩壊も録画映像で見たことがある程度なのですが、まずは電車に乗って中心へ行ってみる。
ベルリンの駅は綺麗なところも多い
切符1枚2.7ユーロ
電車の中も清潔
適当な駅で降りて、ブラブラと歩き始める。ノープランなのでねぇ。
と、早速目に飛び込んできたのは…
信号機
信号機の「歩く」「止まる」をかわいいキャラクターが演じている。
このキャラクターの名前はアンペルマンと言って、旧東ドイツ時代に出来たものだそう。
アンペルマンはドイツだけでなく、世界的にも人気のなのだとか。
アンペルマンの専門店がベルリンにあるのはまだしも、なんと東京・白金高輪にまであるそうです。知らなかった。。
まあアンペルマンショップについては、また別の記事で書きます。
さて、ベルリンといえばやはりベルリンの壁。
世代ではないけれど、ミーハーなのでやはり行ってみるしかない。
壁を見るために、まず向かったのがポツダム広場。
この広場は第二次大戦後、米英ソによって分割統治されており、一時は東西での行き来が可能だったため東ドイツからの逃亡者が絶えず、見かねた東ドイツが国境を封鎖してしまったという、いわば東西冷戦の最前線の中の、最前線。
1989年に壁が崩壊し、ほとんどが撤去されたものの、一部についてはいまだ残されており、観光客にとっては必須とも言うべき場所ですね。
そういった象徴的な場所でありながらも、今では高層ビルが立ち並んでおり、古いものと新しいものとが共存している、不思議な空間でもあります。
観光客向けの自転車タクシーも
近くにはこんな不思議なオブジェ?もありました
続いて向かったのは、こちらも壁の跡がたくさん残るシュプレー川のほとりにある、イーストサイド・ギャラリーと呼ばれるエリア。
ギャラリーという名の通り、残されている壁に色々なアートが描かれており、一大観光名所になっている。
一部を残している先程のポツダム広場に比べて、より広範囲に残され、そこに描かれた政治的なアートは生々しく、迫力がある。
壁が崩壊した当時の人々の、興奮した息遣いや未来への希望など、色々な思いを感じざるを得ない場所です。
今から数十年前、西ベルリンに逃げるためにこの壁を越えようとして捕まった人や撃たれた人がいたことを考えると、何とも言えない悲しい気持ちになってくる。
今ではこれだけ繁栄し、多くの人たちが集まってくるけれど、たかだか1,2世代前の人たちが味わった困難を想像すると胸が詰まる。
また不謹慎かもしれませんが 、戦後に日本が分割されることなくて本当に良かったなぁとしみじみ感じてしまった。
中には富士山、五重塔らしきものを描いた日本をモチーフとしたものも
長くなってきたので、次回に続きます。
(おまけ)
大きなベンツのビル 上のマークが回ってるのは、さすがドイツと言っていいものか…
世界のいろいろなところで見る錠前のかかった扉 恋人たちの愛の証ですね
ベルリンで回ったところ 赤:ポツダム広場、黄色:イーストサイド・ギャラリー、淡い緑:テレビ塔、水色:ブランデンブルク門、青:博物館島、黄緑:連邦大統領府
Hiro
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